間宮林蔵と私。
こんにちわー。
ac104です。
突然ですが、間宮林蔵さんをご存知でしょうか?
江戸時代の後期に活躍された、
世界地図に日本人でただ一人、
その名を遺した探検家です。
その偉業、素晴らしい功績の詳細説明は、
グーグル先生にお任せするとして、
今回は、私の勝手な思い入れを書こうと思います。
↑稚内市のHPから拝借しました。宗谷岬に立つ間宮林蔵のブロンズ像。
今からもう20年も前の事ですが、私は大学生だった頃、免許を取得し車の運転に目覚め、暇さえあれば道内を走り回っておりました。
学生時代には道の駅スタンプラリーの全駅制覇を2年連続で達成!等、若気の至りと言いましょうか、ノリと勢いで、道内あちこちを走り回っていました。
今でこそ、北海道には122カ所の道の駅がありますが、当時は70カ所くらいしか無かったと記憶しています。
それでも、まあ、道内各所を回っていたなぁと思います。
しかしながら、当時の稚内には道の駅は無く、理由が無ければ気軽に立ち寄る土地ではありませんでした。
私には、訪れる、理由がありました。
『日本最北端の地って、
カッコ良くねー?』
…。
この頃から、まあ、バカっぽいですね。
それから、
毎年、毎年通うのです。
↑一昨年に訪れた際の写真です。晴れてて綺麗です。
この先に樺太があるんです。思いを馳せる訳ですよ。
ここで、間宮林蔵を深く知ることになるのですが、
ここに立つ、立派な銅像を見て、
『写真撮っておこう!』
若かった私は、考え無しに、毎度、毎度、写真を撮ります。
来るたびに眺めていると、何か心の中で会話するようになるんですよね。
ac104
『また来ましたー』
『今年も来ましたよー』
『お久しぶりでーす』
更にこれを続けていますと、
返事まで聞こえるような
気がするんですよ。
(↑アブない奴だw)
林蔵さん
『おー、良く来たなー』
『来年も待ってるぞー』
『道中気を付けてなー』
って、親戚のオジちゃんかい!
大学を出ましてからは、本州を転々としていましたので、暫くこの地を訪れることは出来ませんでした。
北海道に戻ってからは、すぐさま、
やってきました。
家族を連れて、訪れるようになったので、感慨深いものがあります。
ac104
『北海道に戻ったよー』
『家族もいるんだー』
『またこれからも来るねー』
林蔵さん
『それは良かったなー』
『家族仲良く暮らすんだぞー』
で、ここ数年は、バイクでも通っています。
ac104
『今日は一人で来たんだー』
林蔵さん
『おお、スーパーカブか?』
ac104
『乗ってみるー?』
林蔵さん
『はぁ?無理じゃろ』
ac104
『やったねー』
林蔵さん
『わしはカブの積荷かー』
あくる日…。
ac104
『また来たよー』
林蔵さん
『TDR125。
やな予感がするぞ。』
ac104
『乗って、乗って』
林蔵さん
『やっぱりかー』
ac104
『やったねー』
林蔵さん
『わしは積み荷じゃないぞ』
ac104
『ノリノリじゃんw』
林蔵さん
『乗せられとるんじゃ!』
あくる日…。
ac104
『また来たよー』
林蔵さん
『今度はなんじゃ、gorillaか』
ac104
『林蔵さん発音いいねーw、
とりあえず乗ってー』
林蔵さん
『流石に無理じゃろ
つーか、振りが雑!』
ac104
『あー失敗したー』
『乗せきれなくてごめんなさい』
林蔵さん
『いいんじゃ、そもそも
乗っとらんのじゃから』
『それよりもこの荷物はなんじゃ?
こんな小さいバイクで何処へ行くんじゃ?』
ac104
『うん、俺、この
ちっこいバイクで
キャンプに行く!』
そーゆー感じで、
ブログタイトル決めました。
ってゆーお話ですw。
皆さんも、北海道、稚内市、宗谷岬を訪れる際は、是非、林蔵さんを愛車に乗せてあげてくださいね。
3台で計3往復。
ざっくり3,000kmを走って作った、壮大なバカ話にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
林蔵さん!今年も会いに
行くから待っててね!
したっけ。
※こんなご時世ですので最後に注釈を。
このお話は、私の脳内妄想のお話であり、間宮林蔵氏の偉業、功績関しましては尊敬の念をもってこの記事を書いております。フィクションであり、氏のパーソナリティとは一切関係ございません。
何卒、バカな私の戯言と、寛大な心を持って、受け流して頂けますようお願い申し上げます。
ac104。