三途の川辺から引き返して、救急車と病院の間で泣いた話
こんにちわー。
ac104です。
今回は、タイトル通りなんですが、十代最後の夏に私の引き起こしたバイク事故のお話を書こうと思います。
私の人生の転機の一つと思っていることであり、いつか、なんらかの形で書き残しておきたいなぁと思っていた話です。
茶化さず、イタイこと書きますが、文末まで、気楽にお付き合い頂ければと思います。
十代最後の年、私の心はすさんでいました。
誰しも、若い頃って、形は違えどこうゆう経験とか、想いとかってあるんじゃなかろうか。まあ成長の通過点と、今になれば思うのですがね。
うまくいかぬことを自分のせいではなく、周りに責任転嫁していたとでも言いましょうか。
私は高校を出て、浪人をしていました。
別に大学に行きたいという、確固たる思いとか、志は無く、現役では大学に合格できず、かと言って専門学校に通うでも無く、社会人として世に出て、職を得て、手前の稼ぎで生きていくなんて気構えも無かったような状況です。
しかしながら、そんな中でも、当時は(今となってもですが…)好きなこと、やりたいこと、夢があって、そしてそれを共有できる仲間には、私は恵まれているのだと思っています。
私は、音楽が好きで、好きで、好きで、しょうがなく、良くある話ですが、いつしか聴いているだけに飽き足らず、バンドを組み、楽器の演奏をするようになっていました。
そして、オレも発信する側になりたい。表現者になりたい。
そう、思うようになります。
自分が感動した、共感した、心揺さぶられた、そんな音楽を、オレの手で作って、それを誰かに聴いて貰いたい。
自分の置かれている状況に似た感情を持つ人に届けたい。
喜んだ、楽しかった、泣いた、笑った、苦しんだ、辛い、悲しい、切ない、侘しい。
感情の想うままを表現する側に立ちたい。
まあ、初めて作ったデモテープが一次審査、二次審査とすんなり通過して、それなりに名の通ったコンテストのライブステージに高校生の時に立っていた。という経験が、この若気の至りの、今思えばこっ恥ずかしい勘違いを加速させることとなっていたのですが…。
根拠の無い自信。
とでも言いましょうかね。
勿論、現実は甘くない。
周囲にもてはやされたところで、メジャーに行くなんて夢のまた夢。
演奏技術的な面もしかり、作詞作曲の発想力しかり。
どっかで聞き覚えがあるような、無いような、耳障りの良い、コトバとリフを掛け合わせて作ったマガイモノ。
今思えばちゃんちゃらおかしいことを当時の自分は真剣にやっていた訳です。
当時の自分は、なんで、認めて貰えないんだよ!これは完全にオレのオリジナルだ!くそ。世の中なんて敵だ。大人は敵だ。大学行ってヘラヘラ遊んでる奴も敵だ。みんな嫌い。大嫌い。
得体の知れない、世間ってヤツが大嫌い。
んー。書けば書くほどイタイ子だ。
一方でそんな自分が、一番ダメなヤツだとも思っています。
この時間、この期間は両親がくれたモラトリアム。
自分で勝ち得た時間では無い。
だから、両親には表向き、受験勉強を頑張ります。って姿勢をみせておいて、でも、裏では音楽、音楽まっしぐら。
私はそんな時に、バイク事故を起こしました。
新しいバンドを組もうとしていた私は、当時バンドのギターだったヤツから、面白いボーカル見っけたから会わないか?とのことで、昼からバイクで会いに行きました。
そして、そのカレとすっかり意気投合。
音楽について語りまくり、気が付けばもう夜。
やば、急いで帰らなきゃ。
次会う時はスタジオで音合わせだな!
切り上げて、家路を急ぎます。
片側3車線の幹線道路の中央車線をベースを背負って、爆走します。
目前の、次の交差点の信号がキイロからアカに変わりました。
アクセルを大きく開けました。
イケるだろ。
交差点手前の横断歩道に差し掛かる時、
こちらに右折してくるセダンが見えました。
ふざけんなよ、どけよ。
ちくしょう。
なんでだよ。
刹那。
私のバイクの前輪がセダンの左側面にめり込むのをはっきりと見ました。
次の瞬間、バイクが一瞬でフロントタイヤを支点にぐりっと右に回り、私の体がセダンの側面にぶつかる瞬間から、記憶がありません。
意識を取り戻す前、真っ暗闇でした。
空を飛んでるような錯覚をしました。
いつまでたっても地面に足が付かない、落下中って感じでしょうか。
気持ち良く、寝てる感覚でした。
ひどくまわりがうるさいです。
なんだよ、もう少し寝かせててくれよ。
お祭りのど真ん中で寝てるような感じとでも言いましょうか?
良くわからない感覚のまま、私は記憶をたどります。
ギターの紹介で、面白れぇボーカルと出会った。
ふふ、売れるぜぇ、オレ達は。
そうだ、時間ヤバいから、急いで帰ったんだ。
そうだった。でも、ここは家か?
あれ?
バイバイして、ガソリン入れて、爆走してて。
あれ?
交差点でアカになったけど、突っ込んで行って。
あれ?
オレ、どうなったんだろう…。
理解できねぇけど、手も足も動かないけど、なんか、大事なことがわかんない気がする。
寝てるんだから、これは夢?
寝てるんだから、ここは家?
でも、帰った記憶がない。
どーやって帰ったの?オレ。
あっ。
オレ、事故ったんだ。
そうだ、事故った。
ヤバいな、親に顏向けできねぇ。
なんて言おう。
あー、必死こいて金貯めて買ったバイク、お釈迦かよ。
ベース!オレの大事なベース!
ネック折れたりしてねぇべな。
あー。
つーか、まず、起きて、相手に謝らなきゃ。
めちゃくちゃ怒られそうだけど、まず、謝らなきゃ。
めちゃくちゃ謝って、許してもらって、家に帰らなきゃ。
そうだ、帰らなきゃ。
目が開きました。
何か、泣き叫ぶような悲鳴とか、怒号とか、ひそひそ話みたいなのが聞こえます。
遠くで、近くで。
うっすらと、はっきりと。
『 意識あるぞ! 』
『 生きてたんだー。良かったわねー。 』
『 ここじゃ、危ないから、歩道に運ぼう! 』
『 おおー! 』
何だよ、オレは神輿じゃねぇぞ。
何で担がれそうになってんだ?
自分で歩いて、歩道に行くさ。
だって、家に帰るんだもん。
『 バカ野郎!下手に動かして、何かあったら、おまえ責任とれんのか?! 』
『 あぁ?! 』
『 このままじゃ、後続車に轢かれる可能性もあるし、俺たちも危ねぇだろーが! 』
『 下手に素人が動かして、なんかあったら責任取れんのかって言ってんだ! 』
私は交差点の付近でぶっ飛んで、意識不明だった模様です。
事故を目撃した方々が、道路を手信号で塞ぎ、後続車両から守る為に私の周りにいてくれたんだ、と後に警察の方が教えてくれました。
なんだか、私が非常に迷惑をかけているのだと、思い、発した一言目は、
ごめんなさい。でした。
声がうまく出なくて、うめき声みたいになって、伝わらなかったかもしれませんが、その言葉しかなかったです。
早く立ち上がって、どけなきゃ。
そう思っても、なにをしても、体が全く動きません。
手も足も、なーんの反応もありません。
おかしいな。
ごめんなさい。
へんだな。なんでだろ。
ごめんなさい。
どーなってんだろ?
『 余計な会話させてんじゃねーよ! 』
『 意識切れねーように声かけてんだろーが! 』
凄く口調が荒くて、怒号みたいなんだけど、何だろう?オレの為に言い合っているんだろうか?
『いつもピーポーピーポーうるせーくせに、何でこんな時に救急車、来ねーんだよ!』
何か、気合い入った感じのお兄さんっぽい方が、ガチギレしています。
何で、見ず知らずのオレなんかの為に、バカな事故起こしたオレなんかの為に、何でこんなに人が優しいんだろう。
世間って、冷たくて、オレになんて興味無くて、オレにとっちゃ敵だったんじゃねーの?
この状況はなんだ?
何か、自分が情けなくて、情けなくて、申し訳無くて、申し訳無くて、ボロボロ泣いていました。
救急車が来て、救急隊員さんにストレッチャーに乗せられて、救急車に乗せられる時、ガヤガヤと聞き取れない声の中、
『 頑張れよ! 』
ってゆー、ガチギレしていたお兄さんの声だけ聞こえました。
それまでは、他人に向けた頑張れって、無責任な言葉で、嫌いな言葉だったんです。
この状況下で何を頑張るのだろう?
でも、頑張ろうと思いました。
何を頑張るのかわからないけど、頑張ろうと思いました。
頑張ろうと思ったら、また泣けてきました。
救急車が病院に着いて、イチニノサンでストレッチャーからストレッチャーに移されて、救急隊員さんが看護師さんに申し送りをしています。
負傷部位が云々、血圧が云々。
その時、看護師さんが不意に尋ねます。
『この毛布は救急の物ですよね?お返ししなきゃ。』
救急隊員さんは応えます。
『いえ。我々の物ではありません。事故目撃者の市民の方が、通報後、家から毛布を取ってきて、この方をくるんでいたそうです。これはその方の物です。』
この会話を聞いた私は、救急車から病院に移される間、涙腺が崩壊したかの如く、涙が流れ、止まりませんでした。
情けない。申し訳ない。ありがたい。
見ず知らずオレに、何でそんなことしてくれたんだろう?
わかんないけど、苦しくて。
どこか痛むの?苦しいの?
看護師さんに聞かれた私は、心が、痛いんです。人の優しさが苦しいんです。
と、恥ずかしいことを口走るのですが、優しく微笑んで、頷いてくれました。
なにやらでっかい機械の中に突っ込まれたり、これ痛みますかー?って拷問みたいな検査から、縫合処置とかに移るまで、
お礼に行かなきゃ。お礼に行かなきゃ。お礼に行きたいです。お礼に行きたいです。今の感謝の気持ちを伝えたい。ありがとうございましたと、ごめんなさいって伝えたい。
って言っていたら、
『大丈夫。そこまで思っていたらきっと相手に伝わりますよ。』
今思えば、何の根拠も無いこと言われたのですが、看護師さんのその言葉で、さらにさらに泣きました。
退院する時、既に夏は通り過ぎ、季節は移り変わろうとしていました。
病院のベッドの上で、警察の方に話をさせて頂いていたのですが、事故の実況見聞に立ち会いは出来ませんでした。
退院後、警察署に赴き、再度聴取を受けます。
聴取を終え、警察を出る前に、
『今回の事故のケースは、所謂、右直の、普段処理する普通の事故なんだが、私が知る限りは非常に珍しい事故なんだよ。稀な事故の事例だと思う。』
警察の方が、私に話をしてくれました。
『まず、当事者二名の証言と、目撃者の証言が一致しているということ。
誰も嘘を言っていない。
普通は当事者が両名、ないしは片方が、自分に都合の良い嘘をつく。
もめることなく処理する事が珍しいし、事故の相手方が、君を責めることも無かった。
そして一番稀な事例であるということは、今、君がここにいることだ。生きているってことだ。
普通は死んでて、こんな話をする機会なんて無かったよ。』
その後、イチから勉強し直し、大学には合格。バンド活動もしつつ、学業もこなす。
生かされた、命。
そう思えば何だって出来る。
事故後に交通整理をしてくれた方、
毛布を掛けてくれた方、
言葉をかけてくれた看護師の方、
話をしてくれた警察の方、
直接お礼は出来ないけれど、自分が社会に何かを返すことが出来れば、それは恩返しになるはずだ。
そう思い、生きるようになりました。
感謝の気持ちを忘れずに。
届けば良いなー。
最後に、ここまで読んで頂いた方。本当にありがとうございます。
駄文、長文、失礼。
次は、いつものキャンプ話を書きます。
したっけ。